2009/02/05

「森×hako」を終えて、夢をカタチに・・・

7年前の独立直後、仕事もない頃にしとんと再会した。

二人は高校時代の親友。
あの頃、学校も行かず、毎日パチンコ三昧、飲みに行くわ、警察のお世話になる事もあったオレらは10年の時を経て少し変わっていた。

にしとんも家の事情で厳しい状況に耐えていた。
10年振りにあったおれらは、自分が目指す仕事のスタンスについて夜中まで語った。。。

その時のにしとんのコトバ・・・


「森の中で診察したい。。。」


オレはそのコトバにこう返した。


「やろうや。いつかやろうや。オレが森をつくっちゃる。」


この時の約束を胸に、オレらは幾度となく励ましあってきた。

ここまでの道のりは互いに楽ではなかった。。。

何かがあると飲みに行き、夜中まで話し元気をもらった。。。

話しているうちに、何でもできそうな気になってくる。。。


そんな中、まえちゃんという強い味方との再会があった。
まえちゃんとの再会も絶妙で、以前のナンパ仲間じゃった。


それからというもの、三人は同じ目標を胸に励ましあってきた。

この七年間、彼らがおらんかったら今のオレはおらんじゃろう。。。


潰れそうになった時、道をはずしそうになった時、いつも二人はオレを連れ出してくれた。。。

最後は
「何とかなるで。やるだけじゃろ。やったらえーがー。」
これが口癖になった。


そして、この福山の地を愛し、その故に問題を常に考えてきたオレらは、その夢をもっと大きな物に変えていった。。。



「この空間で福山を変えよう。一人でも多くの人が景色に興味をもてるような、ゆとりをもてるようになるような空間にしよう。。。みんなが思いを持てる福山に。。。福山を変えるスタート地点に。。。」


三人の夢は膨らんだ。。。


七年越しの夢をカタチに。。。

カタチにしようというオレらの思いは強かった。。。



三人の話し合いはいつも朝方まで続いた。。。

そんな中、半年前に夢の現場はスタートした。


スタート間もない頃、大きなミスに気づいた。
ガラスの搬入に関することじゃった。

勉強不足で、先にガラスを入れなければ、作庭後では入らない事に気づいた。。。

ここは、四つの空間をガラスで仕切る仕組みになっており、ガラスをすべて入れるということは、樹木、石、土、生コンなどすべての材料を窓から人力で搬入することになる事を意味していた。

工程に大きな差が出てくる重大なことじゃった。

やばい・・・おれは動揺した。。。

長年連れ添ってきた二人がオレの異変に気づくのに時間は掛からなかった。


二人はオレを現場から連れ出し、元気付けてくれた。。。


オレは腹を据えた。。。

どんなに時間がかかっても、どんなに厳しい状況でも必ずやってやる。。。

オレは逃げん!!!

と・・・



12月終わり頃、中庭の工事で格闘する中、ずっと話し合いが難航していた入り口駐輪場のゴーサインがでた。。。

これは、90%お蔵入りするだろうと言われ続けながらも、三人とも10%の希望に掛けて動いていた工事じゃった。。。

嬉しい反面、中庭のことで頭がいっぱいじゃったオレは、駐輪場の植栽工法に不安がいっぱいじゃった。

夜中に現場から帰り、朝まで図面と闘った。
げっそり痩せこけた。。。

何度も工法を変え、見積もりをかけるも到底実現しない金額が提示された。

施工一週間前に迫るも、まだ決まらない。

焦りだけがオレを襲った。

そんな中、以前からコラボレートしていた鉄関係を専門とする早間君が手を差し伸べてくれた。



「ぜんちゃんのイメージがあるんじゃろ?そのままカタチにしようや。オレに出来る事はするで。。。」




一週間を切った頃、やっと施工の目処はたった。。。


不安要素は多かったが、あとはオレがやるだけの状態になった。。。



絶対にやってやる。

やるしかない。。。




そして1/29。。。



中庭、駐輪場ともに、洗いを残しほぼ完成した。。。



「おっしゃー!!!おわったーーーーー!!!!やったどーーーー!!!やりきったどーーー!!!!!」



オレはその場で叫んだ。。。


最後の三日間の徹夜を経て、1/30 0:00頃、現場に横たわるオレ、若い衆の竜樹、にしとんの、はしゃぐ三人がいた。。。


胸いっぱいになったオレらは眼に涙を浮かべた。。。


込み上げるものを抑える事はできなかった。。。

現場は静まり返っていた。




「夢って叶うんじゃな。。。」



「ほんまじゃな。。。」



「七年って長かったけど、七年で夢を叶えたってすげーな。。。」


「ほんまよな。。。」



「でも、オレらの思いは相当強かったな。。。」



二人はぼそっと呟いた。。。




「やりきった。。。」



「オレはすべてを出し切った。。。」



「今のオレにこれ以上のことはもうできん。。。」




「森×hako」・・・



ここにはオレのすべてが詰まっている。。。

今まで生き、出会い、喜び、悲しみ、苦しんだすべてのこと。。。



オレの思い、生き様が。。。





にしとん、まえちゃん、デブ、早間君、竜樹、これに関わってくれたみんな・・・


一人じゃ闘えんかったわ。。。
仲間に助けられた。。。


オレ、逃げずにすんだわ。。。



ありがと。。。



ほんまにありがと。。。




これを読んでくれているすべての人へ・・・

夢は必ず叶う。。。

思いを持ち続ければ。。。

諦めず、自分に立ち向かう事。。。

逃げない限り、夢は必ず叶う。。。

そう、強く強く、強い思いを持ってください。。。

強く思い続けることが出来る人には、必ず仲間が現れる。。。

一人じゃできなくても、必ず夢は叶う。。。








これこそ人生じゃと、感じることの出来た「森×hako」。。。






すべてはここから始まる。。。


新たな目標へのスタート地点。。。





「森×hako」。。。






ありがとう。。。


2008/09/06

生きることの意味、伝えるという役割。。。

遠方の現場が続く中、「行為の庭」「。の庭」をアップする余裕もなくあっという間に一ヶ月という時間が過ぎてしまった。


そんな中、昨日 雑誌「庭」の取材が終わった。


メディアへの露出が増えてきた最近、この縁に恵まれた状況が何を意味するんじゃろうかといつも考える。


それは、実は今に始まったことじゃない。このブログをはじめた時、ずっと悩んどったことでもある。


薄っぺらな情報が蔓延したこの世の中で、いったい何人の人が本質を見極める事ができるんじゃろう・・・
勿論、おれが本質を見極めとるんかどうかはわからんし、そんな偉そうをいうつもりもない。
しかし、何人の人が「庭」というキーワードの元、心をうつ事ができるんじゃろう・・・


この忙しい世の中で、「庭師」という職業につきながら、何人の人に「心のゆとり」を与えてあげることができとるんじゃろうか・・・



自分の身近にいる人ですら、庭師という仕事がどういう仕事なのかわからない、おれが何をしとるんか知らん。

それじゃいけんと思い、ブログをはじめた。


オレは、庭譚という屋号の通り、庭のストーリー性を重視してきた。
それはクライアントが、このストーリー性により自分の庭である事を認識してもらう為である。
それは、庭を大事にするという行為にも繋がってくる。

そこには、1分でもいい、30秒でもいい。自分が作った「庭」を眺めるという「心のゆとり」をプレゼントしたいという想いがある。


庭師という職人は多くを語らず「見ればわかる」。そういって今まで過ごしてきた。
しかし、その結果どうだろう。

どれほどの「いい庭」「いい景色」が壊されてきたか・・・
建築業界に押され、スペースはなくなり、庭の領域が狭くなってきている現実を見て見ぬ振りしてきたんじゃないか。。。

感覚でつくる。もちろんその通りじゃ。

でも、それを語らない事でこわされてきたものがどれだけ多いかとオレは思う。

何も語らず、「見ればわかる」でどれだけの人が本当にわかるのだろうか・・・

わからんやつはほっときゃいい。

ほんまにそれでえーと思うか?

オレはえーはずがないと思う。


オレがなぜこの「庭師」という職業にありつけたのか・・・


それは、先人が「日本の庭」というものを追求し続けてしてくれた結果である。

そう、日本の「文化」である。

俺らがしとる一つ一つの行為が「文化」になるんじゃ。
今はわからん、そんなことも考えてないかもしれん。

でも、「文化」って何気ないことじゃ。

今、「マイ箸」がブームになっとるけど、これが百年二百年、千年続けばそれは「文化」になる。

何気ない一人の思いつきが「文化」に変わっていくんじゃろ。


でも、「文化」になりえるには「続ける」ということが不可欠じゃ。


「庭」というものがこの日本の「文化」じゃけーこそ、俺らは食っていけとる。

その「庭」が危ない局面に、おれはたっとると思う。

建築家が外構を設計するという現実が、実際にあるわけじゃろ?


大工の棟梁が建物を設計していた時代に「武田伍一」という人が現れ、建築家という職業ができた。
それは、建物というモノを言葉に換えるために相当勉強したに違いない。

勿論、「庭」というもののすべてを「コトバ」で説明することなんてできんじゃろう。

しかし、キャッチコピーみたいなもので、人の心を傾ける為の「コトバ」をつくることはできるとオレは思う。


良い職人ほど語らない。。。

それじゃ今はまずい。

だって、いい職人じゃないとは言わないが、「コトバ」で仕事を取ることができる情報網ができてしまったから。。。

「庭師」という仕事に出会い、「文化」の真っ只中におかれたオレらの役割。。。



それは、「庭師」が「庭」をつくるということ。

そして、「庭師」が「まち」をつくるということ。




しっかりとした信念の中、一生懸命「庭」の本質に挑んでいる人たちはもっと「伝える」べきじゃとオレは思う。。。



そして、この「伝える」ということの為に、自分の仕事を「コトバ」に替えるという行為が非常に重要じゃということ。。。



一人でいい。

自分が発言することで心をうってくれる人が一人でもいればそれでいい。。。



自分が追い続けている「庭」という世界を軸に、「庭師じゃけー感じることができる事」を、一人でも多くの人に「伝える」ことができればそれでいい。



オレが何かを「伝える」ことができるとすればそれは「庭」でしかない。。。



どんな職業の人に対してであろうとも自分が発言することは「庭師として考えることのできた自分」の「コトバ」じゃと思う。。。


しかし、そこに通づるものは必ずある。



それは、本質を常に「コトバ」にかえる努力を惜しまない事、自分の考えを「コトバ」にかえる努力をすること・・・


それは自分の「庭」を「コトバ」にかえることからはじまるんじゃないかとオレは思う。。。



メディアに露出するということ。。。

それは、光栄なことじゃ。


しかし、それ以上に「責任」があるということ。。。


自分が自分の為に生きているんじゃないことを実感させられる。。。



先人達が託してくれた「想い」を次に「伝える」ための駒の一つに自分がなれればこれ以上の幸せはないと常に思う。。。。。

2007/03/31

庭をつくるということ。。。

今日、仕事のやり方を御依頼主に褒められました。

「もっとすぐに庭なんて出来るもんだと思ってました。こんなに丁寧な仕事をする庭師さんは初めて見ました。。。仕上がりが楽しみです。思うままにとことんやって下さい。」


嬉しかった。。。

ここまで言って下さる方は、庭を大事にしてくれる。。。


私は、一人でも多くの人に庭を眺め、大事に維持してくださる方を増やしたいと思っています。。。



庭ってほんとに大事なんです。


庭を大事にする人の家は綺麗です。

自分が大切にしている物を美しく見せたくなるからです。

家を見た時に見える物・・・まず「庭」です。。。


家が美しいという事は、身なりも美しくなります。

人も美しくなります。

行動も美しくなります。



だから、作る側の責任は重大なんです。。。



私が作庭する時に、一番重要視する事・・・



それは、私が感じるお客様のカラー、オーラです。。。


もちろん、立地、建築も左右してきますが、一番はお客様から感じた感覚なんです。。




だから、その庭は、そのお客様でなければありえないんです。




そのお客様の為の「庭」をつくる事。




もちろん、自分の中でのね^^





そして、そのお客様をもっと輝かせる事が出来れば、最高に喜びを感じます。。。




庭を通じて、今まで感じる事のなかった何かを感じていただければ嬉しいです。。。

2007/03/14

そういうひとにわたしはなりたい(後編)


私には、不思議なくらいたくさんの良い出会いがあります。

自分に何か足りない時、必ずと言って良いほどそれを教えてくれる人物がフッと現れます。。。



ここ最近、とても親身になってくれるアニキ的存在の方にお世話になっていました。

そのアニキは、なんでこんなに良くしてくれるんじゃろう・・・って思うくらい俺のことをかわいがってくれます。いろんな事を教えてくれる。

アニキにとって俺は何の役にもたてないのに、それどころか迷惑ばっかりかけとるのにアニキはそんなことは構わず、ニコニコしていろんなことをしてくれます。


アニキは、若い頃札付きのワル。。。
停学18回で表彰されたという。。。
鑑別も少年院もいった経験をもつ。。。

校長さんに、「お願いだから辞めてもらえんか。」って頭下げられたくらい悪かったらしい。


目をあわしたら
「おどりゃー、なにガンたれとんなら!!!しばきまわすど~!!!」

目をそらせば
「おどりゃー、なに無視しょうるんなら!!!しばきまわすど~!!!」

と、こんな風だったと周りの人から聞いた。。。


18歳を境にコロッと人間が変わり、仕事に打ち込んだそうだ。

もちろん、いろんな経験をしてきたそうだ。

仕事の話、恋愛の話、人生の話、失敗談。。。すべてをさらけだして笑いながら話してくれる。

アニキもまた、感謝の言葉ばかり口にする。

いろんな人をかばい、とばっちりを受け、それでも文句一つ言わず、ニコニコしている。
曲がった事は大嫌いで、一本筋の通った人。

そのアニキはいつも言う。

「自分が嫌な事されても、そのまま同じように返しちゃいけん。じっと我慢して誤ってくるんをまっとくんよ。誤ってきたら水に流して許してやればええ。わかってくれりゃえ~んじゃけ~。」

と。。。


こんなことも・・・

「「遊ぶ時はあそびゃーえーんよ。その代わり、遊ぶんじゃったらその日食う分くらいは稼いでからあそべ~。自分が動いた分がお金。おいしい思いして稼いじゃいけん。汗水たらして働いた分だけが自分のゼニじゃ。」いうて親父によ~言われたわ~。」
と言いながら、アニキもそうである。。。


それから、気遣いがサイコーにできる人なのだ。








アニキとは二年ほどの付き合いになる。。。

これまた俺が飛び込んでいったんじゃけど、そんな俺を
「お~、わきゃ~のにがんばっとるの~。え~え~。力になるけーがんばりにゃ~!」
って、おもしろがってかわいがってくれた。


そんなある日、俺は失敗をおかしてしまい、そのことでアニキのところに相談しに行った。

「実は~~~~~・・・なんです・・・」

と言った俺に、

「そりゃ~いけんかったな~。まあ、今の時代じゃけ~そういうこともあるわ。そういう人もおるけ~な。ま~、もうえ~が~^^」


といって笑い飛ばし、その上、困っていた事を引き受けてくれた。。。

アニキにとってはマイナスなことなのに。。。


それからもずっと可愛がってくれている。


先月、またアニキに迷惑をかけてしまった。

が・・・

そのときも、少し注意する感じでしかってくれ、その後に・・・
「え~え~、気にすな~。わしがえ~よ~にしとるけ~大丈夫よ~^^」

って笑いとばしてくれた。。。


そのアニキがよく話してくれる。

「みんなが喜んでくれるのがわしゃーうれしいんよ~~~^^」



俺は、何度もアニキやYさん助けられ、勉強させてもらった。


「あ~、すごい人じゃ。俺もあんなひとになりたいな~・・・」


そんな日々が続いたある日、わかばが寄ってきて・・・


「ぱぱ~、きいてきいて~!!!」

「あめにもまけず かぜにもまけず
 ゆきにも なつのあつさにもまけぬ
 じょうぶなからだをもち
 よく(欲)はなく
 けっしておこらず
 いつもにこにこわらっている
 いちにちに げんまいよんごうと
 みそと すこしのやさいをたべ
 あらゆう(る)ことを
 じぶんをかんじょうにいれずに
 よくみききし わかり
 そしてわすれず
 のはらのまつの はやしのかげの
 ちいさなかやぶきのこやにいて
 ひがしにびょうきのこどもあれば
 いってかんびょうしてやり
 にしにつかれたははあれば
 いってそのいねのたばをおい
 みなみにしにそうなひとあれば
 いって こわがらなくてもいいといい
 きたにけんかやしょしょう(訴訟)あれば
 つまらないからやめろといい
 ひでりのときは なみだをながし
 さむさのなつは おろおろあるき
 みんなにばくしょうおう(でくのぼう)とよばれ
 ほめられもされず
 くにもされず
 そういうものに
 わたしはなりたい」




「おぼえたんよ~!!!」





「・・・」





まさにアニキはそういうものなのだ。。。




正直、その時の状況がリアルすぎて、心に響いた。。。




と同時に、一生懸命なわかばの姿に感動した。。。





そういうものにわたしはなりたい

2007/02/28

そういう人にわたしはなりたい・・・(前編)

最近、毎日出会う人がいる。
その中の一人に、76歳の職人さん(Yさん)がいる。

14歳で志願兵として海軍に入隊し、貧しい時代を生き抜いた職人さんだ。

Yさんはいつも語尾にこんな言葉がつく。

「~さしてもらっている。」
「ありがたいことじゃ。」
「幸せな世の中じゃ。」

出てくる言葉は感謝の言葉ばかり。


Yさんとの出会いは二年ほど前だったと思う。

突然飛び込んだ私に親身になって相談に乗ってくれた。。。


会う度にたくさんの経験を話してくれる。仕事の事、技術の事、生き様など・・・



「わしは14歳で志願して兵隊に入った。20歳で徴兵がかかるが、できるだけ早く入って上の位に上がりたかった。

わしの歳で兵隊いった者はあまりおらん。あの頃は、元気なもんはみんな戦争に狩り出され、残ったもんは老人と20歳以下の子供だけ。。。

お国の為と言って死んでいった者がたくさんおる。


生きて帰るな・・・


そう教育された・・・あんなのうそじゃ・・・でたらめな教育じゃった・・・

「大和」を見送った後、わしの番が来る前に戦争は終わった。もう船も残ってなかったんじゃ。まだ船がのこっとったらわしも配属されとったろう・・・

わしの前に逝った若者らのお陰でこんな贅沢させてもらっとる。ありがたい。。。」


入隊間もなく防府の燃料倉庫がやられたらしい。その頃から、敗戦ムードになっていたそうだ。



「戦闘機がカラスのように大群でやってきて、ショウユ弾を落としていった。
下から大砲で反撃するも戦闘機まで届かんのんじゃ。歯が立たんかった・・・」


・・・


「戦闘機10機に追われ狙撃されたこともある。低空飛行でな・・・
草むらに寝そべって死んだふりをした時、自分を狙撃している兵士と眼があった。あの時の兵士の顔は忘れられん・・・」


・・・


「終戦後も、食えるのは麦飯か芋ばかり。麦飯も、丸麦じゃけー雑炊にせにゃくえんのじゃ。金なんてあっても意味なかった。金があっても物売ってくれんのじゃ。物々交換よ。たまに米にありつけたと思っても雑炊しか食ってないけー、米食ってもよう消化せんのんじゃ。腹壊して。。。」


・・・


「そう思やー今は幸せよ。金で物なら何でも買えるんじゃケー。」


・・・



「日本いう国は幸せな国よ。韓国や中国、インドへも仕事で行ったけど、日本みたいにどこに行っても最低限の暮らしが保障されとる国はないよ。仕事さしてもらえて、給料ちゃんともらえて。ほんまありがたい・・・」



そんな話をたくさん聞いた。。。

ゆっくりゆっくりため息をつきながら話してくれる。

その言葉には重みがある。


「わしは、生きていくのがやっとじゃった。一生懸命仕事してきたが、一つだけ後悔したことがある。。。30半ばまで親方に仕え、20年間小遣いだけで仕事してきた。。。お金がないなったら親方に小遣いもらうんよ。。。お金貯める余裕なんてなかった。。。こっちに戻ってきてここに来て初めて給料いうもんをもろうた。。。うれしかった~・・・もっと早くにこっちへ戻ってくりゃーこんなに貧乏せんで済んだのに・・・もっと計画的に動いて仕事をすればよかった・・・何年後にこうしよう、ああしようというビジョンを持たんといけん。。。」



Yさんは遠くを見つめながらそう言ってくれた。。。



Yさんと話をしていると、いつも心が洗われる。



われら世代の人々は自分の環境に感謝しなくてはならない。




遊ぶ自由も、仕事を選ぶ自由さえなかった人々が大勢いた事を忘れてはいけない。


ニートと呼ばれる人種が増えていると聞くが、挑戦できる環境にあることに気づいて欲しい。。。

何でもできる世の中である事に気づいて欲しい。。。

自分にしか出来ない何かがあることに気づいて欲しい。。。




毎日「死」と向かい合わせの生活をし、生きていくのがやっとだった人々がいることを忘れてはいけない。


仕事ができ、お金がもらえ、それで食べる物が買える世の中に感謝しなくてはいけない。




この幸せな環境に置かれた俺らがそのことを心から理解し、次世代に伝えなくてはならない。。。




親としても、


子供達に贅沢三昧に物を与え、苦労させず、冒険させず育てていくことが、子供にとってどれだけ不幸なことなのか気づかなくてはいけない。。。

何があっても生きていける精神を養ってやる、そして自分もそうなることが本当の優しさなんだと思う。。。




人それぞれそ伝える為の道具は様々だが、




俺にとって、それは・・・


「庭」であり、「わかば会」だと思っている。。。




後編に続く・・・

2006/12/05

「福山を動かす」活動。。。

ここ最近、自分の周りが目まぐるしく動いています。。。


まずは、「福山を動かす」活動が一歩前進しそうです。

先日、尾道「やまねこカフェ」での講演を無事に終えました。
私が皆さんにお話しした内容は、庭師の仕事について、それを踏まえた上で自分の仕事について、自分の思い、まちつくりについて、という感じでしょうか。。。

多くの方から反響をいただき、嬉しい限りでした。

講演する前は、ここに自分の話を聞きたくて来た人が何人いるのだろうかと思いながら話を始めましたが、私はいつものようにビール片手に前に出て、いつものように話しはじめた・・・

結構うなずいてくれる人が多く、安心してトークも快調に進みました。。。

少しは皆さんのモチベーションを上げることができたのではないかと思いました。。。



と、ある方に余談でそのお話をしたのですが、なんと私の思いに福山市が協力してくれるというのです!!!



ついに福山市の登場です。。。ビックリ!!!



あれだけアプローチを続けていたにもかかわらず、断られ続けたあの頃はなんだったんだろう・・・って感じです。。。



やはり、続けていれば自ずと話はやってくるということですね^^

いずれは、尾道、広島県、日本。。。

夢は広がります。。。


ただいま「福山が好きじゃけ~!!!」構想を思案中です。。。

2006/11/06

初弟子、研修に。。。俺の心の中の人。。。

そろそろ、弟子をとろうかな・・・と思っています。。。

ということで探していましたところ、一人の熱意ある若者が電話をくれました。


ということで「一度バイトとして、俺がどんな仕事してるのか経験してみた方がいいだろ。」て話をして・・・

今週彼がはるばる長崎から来ます。。。


どうしてそんな遠いところから来てもらうかっていうと、やっぱり修行って一人じゃないとできないんじゃないかって思うんです。

修行ってほんまは仕事覚えるんじゃないんよな。

一人の立派な人間になる為に、心を磨くんよな。

始めた時は、そんなことはわからない。技術を覚えようと必死にがんばるんよ。
それもいいだろう。。。

でも、技術なんてものは、時間かけて一生懸命やりゃできるようになるんよ。

要は、修行ってのは、一人になって、極限に耐えるってことじゃとおもうんよ。
それに耐えられなきゃ、職人なんて続かん。

何やっても続かん。


そして何より、作庭ってのはものづくり。しょうもない人間がつくるとしょうもない庭になるんよ。

人格以上のものは作れん。


俺はそう思うんよ。



俺は、修行時代にいろんな事を経験した。

親方には毎日よく叱られとった。

鋏が飛んでくることも。。。


そして、とことん貧乏じゃった。。。

食べる物を買うお金もなく、うまい棒でごはんを三合食べるなんて事はよくあった。

ただ、有難いことに、お米をくれるやさしい人がいてね^^

白飯はよくくったわ。

弁当は、毎日自分で作り、日の丸弁当に、おかずはウインナー二本。

夜はバターライス、ラーメン、たまごごはんの繰り返し。

たまに、レトルトカレーなんてほんまに豪華な食事じゃった。

外食なんてもってのほか。

野菜は早朝に朝市に行き、農家のおばちゃんに安くわけてもらった。

肉なんて滅多に食えんかった。

ただ、そんな中でもやりくりして、庭の本は良く買っとった。

そのうち、いろいろあって、本も買えんくなり、アパート代が払えんくなり、アパート追い出された。

寝床も失い、かといって泣き言言って実家には帰れず、途方に暮れた時期もあった。。。

今時、金もない、寝床もないなんて・・・

もう庭師は無理かも・・・って思った。



そんな時、一人の漁師さんが俺を拾ってくれた。。。



どん底に落ちた俺を。。。



家に泊めてくれて、毎日刺身を食わしてくれた。

毎晩酒を酌み交わし、人の道を教えてくれた。

頑張れと言ってくれた。

この人は、昔は極道だったそうだ。

ある時期を境に、スパッと足を洗い、今はまじめに漁師をされていた。


俺を見る眼はいつも優しかった。

叱ってもくれた・・・が、いつも最後は優しく笑ってくれた。。。


仏のような人だった。


俺の心の中が見えるのか、ゆっくりと紐解き、再び庭師の道に導いてくれた。

いろんな話をしてくれ、悩んでいると飲みに連れてってくれた。フィリピンパブに・・・

何も言わず綺麗なネーちゃん達と騒ぎ、帰りの車の中でポツリ、


「ぜん、ばかになった者勝ちじゃいや(下関弁)。がんばれや。」


そう言ってくれた。



そんな優しい漁師さんとの毎日の生活の中で、俺は、自分のちっぽけさに気づいた。


この人は、なんてすごい人なんじゃろう。
俺は、絶対にこの人のような人になろう・・・そう思った。


結局、約一年ここでお世話になった。
家賃も、食費も払わず・・・

なんの恩返しもできなかった。


今の俺を一番最初に作ってくれた人。

今、その人に会うことはできないが、いつも心の中にいる人。


話はそれたが、これはまだほんの一部の話。


こんな経験って一人じゃけーできた。

自分の力でなんとかしようっておもっとるけー、誰かが手を差し伸べてくれた。

一人じゃ生きていけない。でも、自分で精一杯頑張らんと、そんな人とは出会えない。

今の時代、うまい棒で三合めし食う奴なんておらんって思うじゃろ?
10年前はおったんよ・・・俺が・・・


ほんま、今じゃ信じられんような事が、ふつーにおこっとったんよな。

じゃけー、早くに独立できたし、庭師が辛いなんて思ったこともない。

そんな修行ができたけー、今こうして頑張れる。。。

じゃないと、今までお世話になった方々に怒られるわ^^




それが、今まで俺に優しい手を差し伸べてくれたたくさんの人への恩返し。。。




とにかく頑張ることが。。。



そして、弟子として入ってくる若者を、独り立ちできる立派な人間に育てることが。。。



そしてまた、自分も弟子に育ててもらうんだと。。。


こうして、御恩を御恩にかえ、しっかり繋げていこう・・・

2006/08/10

眠っているもの・・・

ここ何日か、材料を探しまわってました。。。


見つけてしまったかも・・・お宝を・・・^^^^^^^^^^



庭に使われる材料っていろんな物があるけど、同じ自然界の産物でも限界の封印を張られている物がたくさんあるんです。


クズ石、ボロ木、なんて呼ばれて・・・


私としては・・・

『捨てられるような、クズの扱いをうけている素材に光をあてたい・・』



だいたい、クズなんてものはない!

そのものの良さを見てやれないだけなんです。

たくさんあるもの、安い物に価値を見出せない、希少価値のあるものに飛びついてしまうってこと、よくあるよね。

本当にその物の良さがわかってたらいいと思う。
でも、そうじゃない場合は多いよね。

ただ高いからいい。と先入観を持ってしまう場合は多いよね。


俺はそうはなりたくない。


これは!!!という材料を見つけた時、そこにおられる方に、

「私は庭師をしています。是非この材料を分けてください。」

こういうと、ほとんどの方が、

「こんな物、庭につかうん?そんな人聞いたことないわ^^」

って言われます。

「いや、僕はこれが好きなんです。誰も使ってなくてもいいんです。僕が好きなだけでいいんです。」

こう言います。

すると、みなさん面白がってかわいがって下さるんです^^;

「あんちゃん、おもれーのー。わきゃーのに。おっしゃ、わしにまかしとけーや。あんちゃんがえーよーにしちゃーるけー、いつでもこいや!(訳:お兄さん、おもしろいね。わかいのに。うん、私に任せなさい。お兄さんが思うようにしてあげるからいつでも相談にきなさい。)」

ってね^^





しっかりと、自分の眼で判断し、自分の感覚で材料を選ぶ。そして、素材の力を引き出す為に自分の力を注ぎ込む。

そうやって、庭を作っていきたい。


そうすることで、自分独自の庭を作ることができる。


そう思うんです。。。


新たな材料を探している時は、ウキウキします。

めちゃくちゃ楽しいんです。

自分で開拓するだけに、『おう、やっと出逢えたな。^^』なんて気になったりして。。。

どんどん、どんどん山の中にもぐっていきます。。。


山の少しの変化を見ながら、時には車から降り、時には行き止まりだったり・・・


変な目で見られることもしばしば^^;


そんな、無駄な時間を過ごしていても、自分にとってはすごく有意義な時間で、絶対に必要な時間なんです。