2012/09/30

NIWATAN の由来

NIWATAN 庭譚

庭作りとは、ものがたり(譚)をつくること。

庭に使う材料にもすべてものがたりが存在する。。。

庭に新しく入れた材料はそこからものがたりが始まる。

庭を作るにあたって、既存の材料を使って欲しいと言われるお施主さんは多い。それは、その物達にたくさんの思い出が詰まっているからです。

そのことに気付くことができたのは、15歳の時に起きた出来事のお陰でした。。。

私は2歳の時、2階の窓から転落するという事故に遭いました。

その時に私を救ってくれたのが一本の「カイヅカイブキ」という樹でした。
私はその樹に引っかかり無傷でした。
そのまま落ちていれば、多分今この世にはいないでしょう。
15歳の時、家を立て直す事になり、その樹を伐採しようという話がでました。
しかし、私にとってそれは『命の恩木』であり、親にどうしても生かして欲しいと頼み込みました。
そして、移植することになり、地元の庭師さんにお願いしました

その時です。

その庭師さんは「こんなボロ木捨てて、新しく買った方がえーでー!」と・・・私は子供ながらショックでした。
そして、運命なのか、それから5年後に庭師をはじめることとなります。

修行時代から「俺は、絶対にあんな庭師にはならんぞ」と肝に命じてきました。

だから、独立時にこの「譚~ものがたり~」という一文字をとったわけです。。。

ものがたりを大事に生かした作庭を心がける。。。

そんな思いを籠めています。


LANDSCAPE NIWATAN DESIGN+ARTISAN OFFICE・・・2010年5月新設

広島県福山市 繁華街のど真中にOFFICEを新設

遠隔地の仕事も増えてきた事と、世界に発信する時に、より福山という街をアピールできるよう、福山のランドマークである「住吉スクエア」にOFFICEを構えました。

はじめは、何でこんなところに・・・と誰もから言われた・・・

ただ、おれは多くの人に『庭』というモノを伝えたかった。

それと、いつでも誰でも気軽に寄れる場所を作りたかった。。。

そんな訳で、多くの方がフラッと足を運んでくれるOFFICEとなっています。

2012/09/20

[鞆の浦 de ART] 桝屋project...

9/16~10/8まで 開催中の [鞆の浦 de ART]~朝鮮通信使なう。~


展示を終えた。。。

おれは、その展示と共にそこに至るまでの心の葛藤を綴った短冊を展示した。。。

その内容をここにアップしておく。。。







2012.05.18

子供の頃、鞆の浦といえば「鯛網」くらいしか記憶にない
鞆のまちのことなど考えることなんてなかった

庭師になり「作庭衆 庭譚」の初仕事がここ「桝屋」当主の「本家桑田」であった

それから12年・・・太田家住宅、岡本亀太郎本店、保命酒屋など、鞆の旧家と付き合ってきた

「庭」を通して「鞆の浦」を見てきた

壊される庭もあった・・・

とても寂しく切なかった

ただ出来ることを出来る限り、当時の風景を想像しながら庭に手を入れてきた

何かの資料を基に・・・そんなことじゃない

現存するあの頃の建物と共に過ごしてきたその感覚こそがすべてである

何かをさわる時いつも思うこと・・・

あの時代に自分がいたらどうつくっただろう・・・

材料、物流、環境、技術・・・

すべてをその環境で何を考え、何をつくったのだろう・・・

そう思う平成の庭師が江戸の庭師になり代わり・・・


想いをカタチにします


「桝屋 MASUYA PROJECT」・・・


さあ、みなさんもご想像ください

ここから仙酔島が見えていたあの頃を・・・






012.08.25

あれから3ヶ月・・・

構想は固まっていた・・・

[鞆の浦 de ART]でこの庭を伝えよう

Zenjiro Hashimoto ではなく 桝屋 を表に・・・

きっと江戸時代の庭師なら・・・

ずっとそう思っていた

しかし 何か腑に落ちなかった

何ヶ月もたつのに なぜかチカラが沸いてこない・・・

なぜだろう・・・

こんなにも長い時間この庭と向き合ってきたのに・・・



見えない・・・



暗くなるまでこの空間と向き合った



本当にこれまでの考えでいいのだろうか・・・


わからなくなった

何も見えないまま

夜の海を目の前に


真っ暗な闇に突入した・・・




2012.09.09

12日から準備・・・

さらに深い闇の中

[art]という見せる場が どうもこの「桝屋」での作庭と結びつかない

何かがボーっと見え隠れしている

[art]って何なんだろう

自分の役割って何なんだろう

ここでやる意味は・・・

ずっとそれを考えていた

[モノヅクリ]=[art]ではない

じゃあなぜオレがここにいるのか・・・

[artist]って何の為にツクルんだろう

自分のエゴなのか・・・

いや、そうじゃないはずだ

自分の中から湧き出てくる何かを 

誰かに伝えたいんじゃないのか・・・


何かを伝える為、感じてもらう為、日常にない感覚を味わってもらう為にツクルんじゃないのか・・・

自分の中にある何かをカタチに変えて周りを幸せにする為・・・


[art]って[伝えること]なのかもしれない


オレがやってることと何も変わらないのかもしれない・・・





2012.09.10

[art]の為の作品を 今これから再生させるこの庭に持ち込みたくない
それがオレの心の中

おれは 代々ここを守ってきたお庭番のことを考えてきた
この10年間 ずっとこのお庭のことを考えてきた

かつて この庭の向こうには離れと大きな蔵があった
今はもう その姿はない

景色は大きく変わった
このお庭はある時から取り残され いつしか見る人すらいなくなった


もしここに 江戸時代の庭師が突然現れたら・・・
困惑するだろうな・・・

流通、道具・・・あらゆるものの変化の中で同じものを作ろうとするだろうか・・・


ありえない


今のこの場所 この建物 この背景に最高に合う庭を
あらゆる技術とノウハウを駆使し
新たな空間をつくるに違いない


今のオレがやるべきこと・・・

江戸時代のお庭番が考えられなかった空間を

江戸時代のお庭番が残してくれた技術とノウハウを発展させてカタチにすること・・・

それが「桝屋 お庭番」を引き継いだオレの役割なんだ

置き去りにされたこのお庭を 潤いある空間に引き戻すこと・・・

それがオレの役割であり


若いお庭番を育ててくれた「鞆の浦」への恩返し





2012.09.11

頭の中が整理されてきたものの、依然すっきりしない

構想がまとまらない

「桝屋 再生」という役割を この [鞆の浦 de ART] と結びつけた自分に後悔すらした


おれは[art]というコトバに縛られていた

何か コレ というものをつくらなければいけないような気持ちに苛まれていた

この庭で、ただカッコいいモノをつくることはできる

「再生」というテーマで湧き出すモノを彫刻で表すこともできる

でも・・・何かが違う


この「桝屋」でそんなことしてもオレが展示する意味がない・・・

心の中でそう繰り返していた


背伸びしようとしている自分が見える

自分らしくない

カッコよさを求めることが 自分の表現じゃない


空間に 無駄なかっこよさは必要ない

カッコつけたくない

ありのままを見て欲しい


さらけ出そう・・・


自分らしさを見てもらえばいいんだ


明日は とにかく現場にはいろう




2012.09.12

現場に立つ

煙草に火をつけ、数え切れないほど見てきた景色ともう一度向き合った

その時、以前から気になっている部分が目に入った

手水鉢周りの石の配置だった

ずっと思っていた

あるはずの飛び石がない・・・

ただ おれは 腐敗したありのままの庭の姿も多くの人に見ておいて欲しかった・・・
それがこの庭に手をつけれないでいた原因でもあった

しかし このままの状態の「庭」を多くの人はどういう想いで見るだろう・・・

本当に何かが伝わるんだろうか・・・

伝わらないんじゃないか・・・

いや 伝わらない


気づけばオレは草を抜きはじめていた

一本一本丁寧に草を抜いていった
体が勝手に動く・・・
そのまま庭中に乱雑に置かれた石を一つ一つ動かし、庭に放り出されたものを取り除いた

そしてゆっくりと眺めたあと、気になっていた飛び石部分を掘ってみた・・・

カチン・・・

飛び石が姿を現した

これは、元の庭に土が盛られていたことを示していた

元の地面をだそう

地面を這い蹲り土を丁寧に撫で 削っていった

半分まできたところで辺りは真っ暗になり、逸る気持ちを前に現場をでた・・・





2012.09.13

昨日の続きに取り掛かる

進むごとにこの庭の歩みが見えてきた

元々なかったであろういしをすべて取り除いた
その後に現れた庭の中に どうしても不自然な石が一つだけあった・・・

なぜこんなところに・・・

わからなかった

何もチカラを感じない

オレは金テコを持ち その石を少し浮かせてみた・・・


埋まってない・・・


建物解体後 向かいのブロックを積むときに邪魔だからよけたんだ
そして ブロックの基礎をつくる為に掘った土をそのまま周囲へ均したのか だから飛び石も埋まってたんだ・・・

すべてが理解できた

そして その置き去りにされた最後の石を吊り上げた時 

オレ中の闇がすっと晴れていく景色があった

これだ・・・

その石は 右手にある発掘した空間と 左手にある置き去りにされた石たちのど真ん中 何もない「無」の空間に浮いていた

それがオレには 

「過去につくられた庭」と「これからつくる庭」を繋ぐ


「再生への架け橋」に見えた・・・


ここから見てもらおう
1ヶ月間、このままにしておこう


考え続けた心の中を ありのままの姿で・・・








それから最後にこう綴った。。。








「庭」は生きている

どんなに素晴らしい庭も 経済状況、その他諸事情により 姿は変わっていく

ただ、どんなに 姿 カタチ が変わろうとも
成長し続けるものがある


それは 場の空気感・・・


「庭」は生きている


樹木は育つ または 枯れることもある

しかし 時間の経過はそのまま残るのです


なぜ 今 「鞆の浦」が脚光を浴びているのか


それは ほかでもない 

成長し続けてきた「空気感」をそのままの姿で残す要素が より多くそろっているから

その「空気感」を復活させるべく

来年の「ひなまつり」に向けて 

この庭の完成を目指します


もしも 時間の余裕があるならば 

是非再度「桝屋」へお越しください


お待ちしております・・・

    Zenjiro Hashimoto

2012.09.15 Finish

2012/09/12

【鞆の浦deアート】-朝鮮通信使なう。-

【鞆の浦deアート】-朝鮮通信使なう。-


『桝屋 MASUYA project』の庭(構想中)で出展します


内容、在日時、作業日など、詳しいことは明日 告知します。。。





2012年9月16日[日]~ 10月8日[祝]まで、広島県福山市鞆の浦地区を舞台に、
備後と韓国の作家によるアート展を開催します。
かつて潮待ちの港として栄えた鞆の浦。
我が国への外交使節団であった朝鮮通信使が宿泊地とし「日東第一形勝」と称賛されました。
歴史的建造物が現存し、在りし日々の面影を随所に残す街並みを散策しながら、
アート作品をお楽しみください。

※オープニングセレモニー
 日時:9月16日[日]9:30~ 場所:鞆の浦歴史民俗資料館
 駐広島大韓民国総領事館も出席されます。


〈 会 場 〉
福禅寺 対潮楼/鞆城跡/圓福寺/太田家住宅 /桝屋清右衛門宅/沼名前神社/鞆の浦歴史民族資料館/法宣寺/明圓寺/岡本亀太郎本店保 命酒タワー/田渕屋/鞆の浦@cafe /御船宿 いろは/ありそ楼/白壁/カヤッカーズCAFE/潮待ち茶屋(順不同)

総合案内所:白壁(作品配置図マップあります)

〈出展作家〉
【韓国アーティスト】
安宰國(釣糸)/金京和(布)/金正周(布)/曺載任/曺榮熙(フェルト)/柳美蓮(韓紙)/林宣希(陶)

【備後アーティスト】
Eye Brow(立体)/赤尾 宜子(木)/石井 和洋(陶)/石北 有美(染)/KEIZO(陶)/佐藤 徹(立体)/高田 信吾(オブジェ)/中村 文美(書)/萩野 中信(陶)/橋本 善次郎(庭)/前田 圭介(建築)/三宅 良子(石)/村上 健造(グラフィック)/森 美友(陶)/山縣 和子(フェルト)/YUKO(陶)/吉岡 宏展(木)/吉本 里絵(和紙)/ヨシダコウブン(陶,金属)




〈交通アクセス〉
バスで  福山駅 - 鞆の浦まで 約30分
JR福山駅前バスセンター 5番乗場「鞆港行き」乗車、『鞆の浦』or『鞆港』下車
※鞆の浦は駐車場が少なく、また道路が狭いため、ご来場の際には公共交通機関をご利用ください。


■ 主管/福山葦陽ライオンズクラブ ■ 担当/ BINGO de ART 実行委員会 ■ 主催/福山城アートプロジェクト実行委員会(福山商工会議所・社団法人福山青年会議所・福山葦陽ライオンズクラブ・福山食ブランド創出市民会議) ■ 共催/福山市鞆の浦歴史民俗資料館 ■ 協力/作品を展示する全施設・福山大学学友会執行部 ■ 特別協力/有限会社柿原銘板製作所・鞆の浦の皆様 ■ 後援/駐広島大韓民国総領事館・福山市・福山市教育委員会・広島県立歴史博物館・公益社団法人福山市観光協会・福山市商店街振興組合連合会・ 広島経済同友会福山支部・広島県東部観光推進協議会・エフエムふくやま(順不同)
■ お問合せ/ 福山商工会議所 TEL. 084-921-2345