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2013/12/20

ひとつの現場を終えて 『ひとつ』の重要性を思い知る。。。


昨日、ひとつの現場を終えた

今回の現場ほど「ひとつ」の大切さを噛みしめた現場は今までになかった

自分が「ひとつひとつ」を積み重ねてきたことも改めて思い知った

そして、これでよかったんだと痛感した


今回の現場は、大したことはしていない

鉄の屏風を立て、植栽をし、石を据えた。。。

ほんとに大したことはしていない


ただ、すごく力が出ている。。。


本来、9/6完成を目指していた

工事中、建築の撮影が延びたこともあり、竣工時期に余裕ができた

結局、10日余りも竣工が延びてしまった。。。


何度も自分の中でこれでいいんだと言い聞かせた

最後までとことんやろう、、、苦しみながらいつも言い聞かせる。。。

言うまでもなく、日数がかさむとお金は飛んでいく
人数入っているとそれは大きい
そういう考えたくないプレッシャーも押し寄せてくるのである

そんなことを忘れるように

端折っちゃいけない。。。端折っちゃいけない。。。

ひとつひとつ・・・いつかは終わる・・・『ひとつひとつ』

淡々と動く

連日連夜、作業は遅くまで続いた

そんな中で、あらためて多くの事を感じた


おれは、現場に入ってここまでやると決めたら何時になろうがやめない

集中に入ってしまう

ご飯さえ欲しくなくなる

とにかく好きなんだと思う

ただ、何が好きなのかに今回気付いた気がする


それは、「すべてを生かす」ことが好きなんだと。。。


それが庭かと言えば、そうでもないのだ

大きく言えば、「全体の空気感」。。。

そこから見えるすべてのもの。。。

大きなモノ は 景色。

それから 建築。

それから 庭。

それから 樹木。

それから 樹木が空に作り出す空間。

それから おっきな石。

それから 中くらいの石。

それから ちっちゃな石。

それから それらを作るために使う道具。

それから 職人の動き。

それから 作業中の杭や型枠。

それから 掘った土。

・・・・・


果てしなく細かくなっていく。


しかし、その細かい「ヒトツ」の集合体が、えげつない迫力をもつ『空気』を生み出すんだ



要するに、その「ヒトツ」がちゃんとできてなきゃそんな「空気」は作れないんだと痛感した


おれは、植栽や石組みをする前に、仕上げかというほど綺麗に地面を均す

また掘って荒れるのに、それでも均す


それは、へんな線が見えない空気の動きを止めるからだ

汚いラインが見えると、のってきてフラッシュバックのように見えた景色が一瞬にして消えてしまうからだ


植栽や石組みというのは、それだけ神経をつかう

集中してなきゃまったく何も決められないんだ


フラッシュバックのように目の前に現れる景色はすさまじく元気がよく、空気が踊ってる

それに押されて気分が乗ってくる

そんな時は、もう他のモノは何も見えてないのである


しかし、そんな時に何か気になることがあるともう前には進めなくなる

気になる事を置いてはいけないのだ

そんな時 「ひとつ」を大事にと良く思う


おれはさっき、何時になってもやめないと言ったが、好きで遅くまでしているわけじゃない。

『ひとつ』の積み重ねをやってきた結果、今のスタイルになった


どういうことかというと・・・

たとえば  「ひとつ」の仕事が終わるたびに、道具を整理する

そして、その日もう使わないなら片づける。

また使うものは一か所にまとめる

そして、次の作業に移りやすい準備をしておく


たとえば  右に歩いていくときには、右に持っていくものがないかを瞬時に判断し、あればついでに持っていく


たとえば  使った道具は立てて置き、地面や建物につけない

汚したくないから。汚れた道具をさわると手が汚れ、現場や周りの物を汚すことになるから


他にも 車を綺麗に止める 気が乱れるから事故につながるから


近所に人にあいさつする 苦情が出にくくなるから・・・


そういう細かい 「アホ」 みたいな 「はなくそ」 みたいな細かいことをいつも瞬時に考えながら動いてきた

その結果、作業に区切りがなくなった

「ひとつ」の作業が終わると すぐに次の作業に移れてしまうのである


簡単に次に移れるから 「次 これやっとこう」ってことになる

現場も汚れないから少し汚れたらすぐにわかる  だから作業のついでに短時間で掃除ができるようになった


結果的に、時間に余裕ができて考える時間をしっかり取り、凝縮して作業できるようになった


こんなこと言うと、おれはどれだけ細かい人間なんだと思うかもしれないが、ほんとはおれは細かくない

こんなことになったのは、いかに「短時間でロスをなくし クオリティーの高い仕事をするか。。。」を常に追求してきたからだ


かといって、今の自分が最高だとは全く思ってない

もっともっといい方法があるはずだと常に思ってる

だから、昨日やった方法と、今日やる方法が違うことはよくある


そして、いつも思うことは、


時間には限りがある  でも 『出来上がるモノ』 に限りはないということ


ということは、限界を決めるのは 『時間』 なのである


『ヒトツ』の作業で 1分でも1秒でも時間をつくることができれば、その 1秒 が 1年後 に 1日 に変貌する可能性を秘めているということだ


もちろん個人差はあるが、それだけ『ひとつ ひとつ』ということは大きい


もっと細かく言えば



『一歩』 をどこに踏み出すかが最も重要なのです




今回の現場で、多くの事を学びました


クライアント、関係者の皆様、仲間のみんな。。。



ありがとうございました



この現場、来年 『オープンハウス』 予定ですのでお楽しみに。。。

















2012/10/30

常識。。。

先日、広島県立福山明王台高校で講演をした。

全校生徒950名くらいかな。


題名は「自然に生きる」。。。


一時間と言われていた時間はあっという間に過ぎ、結局1時間45分も話してしまった。


おれは、事前に話すことを決めておくのが苦手なんよ。
だから、みんなの顔を見ながら話そうとおもっとった。


とりあえずは、おれが何をしている人間なのか、どうしてここに呼ばれたのか・・・そんな話をした。


それから、高校時代から今まで、どういう道を歩んできたのか、これからどうしていくのか・・・など。


高校時代の話は、打ち合わせの段階でほとんどがNGとなり、ほぼ話すことができなかったが、その後の人生においては包み隠さず話した。


生徒たちははじめの話なんてどうでもよさそうだった。

が・・・

どういう道を歩んできたかって話になると、だんだん真剣に聞き出した。


おれはいろんなことを話した。

そんな中で何度も言ったコトバがある。

それは、「常識に惑わされないこと」。。。

「世の中の常識」というものの中には、元の「本質」というものが隠れている。

だけど、「コトバ」は独り歩きし、そのうち「本質」は伝えられなくなっていく。

「常識」を伝える人間も、歳も立場も関係なく、自分の立場を基準に発言していく。

それによって、いろんなことが歪んでいく。

このネットという媒体もその一つだと思う。

不特定多数の様々なレベルの人間が同じモノを見て何かを考える。

それはそれでいいんだけど、それがすべてだと思うならとても危険なことだとオレは思う。

世の中はとても便利になってきた。

ただそれを機に、大事なことが伝えられなくなってきているとオレは思う。


例えば・・・

「バリアフリー」このコトバを耳にすることはほんとに多い。

「完全バリアフリーです」って自信を持って言ってる人を見ると悲しくなってくる。

すべてにおいて悪いとは言わない。

でも、おれには「あなた一人で生きてくださいね」って聞こえてしまう・・・

「バリアフリー」って、ある意味「人と人との関わり」を無くしていくコトだとオレは思う。

人が周りを気遣い、手助けし、困っている人がいれば誰もが手を貸す。これが当たり前にできれば、特に公共スペースなど「バリアフリー」にする必要はないのに・・・って思う。

それができないから今の流れになってる。そう言い切ってしまうと、もう人と助け合うという文化は薄れる一方だとオレは思う。

多分、はじめは「ちょっと過ごしやすく」って程度だったんじゃないかなって思うんよ。。。



今、若い子の中でおれにとっては不思議なことが起きている。

もちろん、みんなとは言わないが、多くこんな話を聞く。


「安定」を求めている若者が多いということ。。。

先日も大学生と話をする機会があり、そんな話になった。


「安定」って何なんだろう。


こんな「不安定」な世の中で、「安定」なんてあるんかな・・・

あまりによくこの「安定」って「コトバ」を聞くからオレはずっと考えてた。

この世の中でもし「安定」があるとすれば、多分「安定」を求めてる子は何か勘違いしてるかもしれない。

「安定」というのは「歩き続ける」ということなんじゃないかな。

止まった時点で「安定」は無くなる。

それはなぜかというと、世の中が歩き続けてるから。。。


「安定」=「楽」ではないんよ。


そして、より努力して一歩一歩を先に進めることができる人間が、より「安定」していく。

多分その人は「安定」を求めてるわけじゃないんよな。


つまり、「安定」を求めた時点で「安定」ではなくなるんじゃないかってオレは思う。



なんか、だらだらと書いたけど、何が言いたいかというと、


「自分が思ったことをしっかりと受け止めて大事にしてほしい」ということ。



世の中でいう「あたりまえの綺麗なコトバ」じゃなくて、「本当の心の中にあるコトバ」を大事にしてほしいとおれは思う。。。



それは汚くてもいい。

ナマケモノでもいい。



そんな自分を理解できれば必ず次の道は見えてくる。



そこからまた、「歩き続けることができる幸せ」を感じてほしいと心から願う。。。



オレが高校生に最後に言った言葉。。。



みんな楽しく生きてほしい。。。



おれが伝えたいのはただそれだけ。。。

何か伝わればいいな。。。



2012/07/17

仕事って。。。

今日は午前中図面や段取りなどを済ませ、午後から現場、手入れに行った。


昨日から、タツキが応援に来てとるけーほんまに助かる。。。



二週間ほど前に、新たなスタッフが1人入り、今いろいろと話をしながら仕事をしているが、今日こんなことがあった。


今日の現場は毎年 年に二回入る地元の古いお寺。


そこのお母様が、おれが落とした山茶花の枝をお供えに使いたいとせっせと拾ってた。

その間、お母様はいろんな話を俺にしてくる。

おれは、そんな時、手は止めないが、仕事のペースを落としゆっくりと鋏を入れる。

話の腰を折りたくないから。


そんなやりとりをしている中、若いスタッフがこちらに歩いてきて、

「もうこの枝は運んでもいいですか?」

と枝をより分けている途中のお母様に尋ねた。



お母様は、

「もう少しだけそこに適当においてもらって残りは運んでください・・・それより、お茶を飲みなさい。あっ、三時のお茶を準備しなきゃ。。。話はまた後で・・・」


こう言い、中に入っていかれた。

結構大事な話の途中だった・・・

おれは寂しそうなお母様の背中を見送り、少し悲しくなった。。。



若いスタッフに言った。


「空気を読め。」と。。。



お母様は、いつもおれに言う。

「あなたが来てくれたらほんとにうれしいのよ。

話し相手がいてくれて、庭も綺麗になるし、心がスーっとします。。。」


だからおれはいつもお母様との会話を大事にしてきた。



仕事ってほんとはこれが一番大事なことだとおれは思ってる。



庭を綺麗にしたり、樹を元気にしたり、そんなことは当たり前にすることで、でも一番大事なことは、「きもちいい、うれしい」そう思ってもらえること以外に何があるんだろうか。



おれは最近、よく若い奴に話す。


なぜおまえが生活できるのか。


女を守るってどういうことなのか。


やりたいことをやって生きるってどういうことなのか。




曖昧に捕らえていることがほんまに多いんじゃ。


でもこれをわかりやすくコトバに変えると、このすべてに「お金」って関わってくる。



おれは「お金」にそんなに執着はないし、贅沢したいなんて思ったこともない。

でも、やりたいことをやるとき、やっぱり「お金」はかかる。


とにかく「生きる」ことに多少なりとも「お金」がかかる。



じゃあ、その「お金」はどうやって生まれるのか。



それは、人が相手に対する「感謝」の気持ちに他ならない。



「感謝」を「お金」に換えているだけのことなんじゃ。



だから、動けばいいんじゃない。感謝されなきゃやっても意味ないんだ。特におれらの仕事は。



おれは若いスタッフに言った。


「俺らは芸術家じゃない。職人だ。

相手がはじめから決まってて、その人に喜んでもらえる仕事をするだけのこと。

おれらはその中でも「一段階上の喜び」を味わってもらえるように頑張ってるだけ。

それは、経験がないとできないことばかりじゃない。

経験がなくても、ほんとに親身に相手の気持ちを考えてあげれば出来ることが必ずある。

それは、俺や、応援に来てくれた職人、周りのすべての人のことを同じように考えればやることは出来ることは山ほどある。


相手の立場に立てない奴に「生きるチカラ」は身につかない。


どんな仕事につこうと、これは絶対に変わらない。


よく考えろ。。。」




ほんとは、仕事なんて何やってても変わらない。




それに気がつけば「人」ってどんどんおっきくなる気がする。。。


2012/07/03

気付くということ。。。

気付くということは、凄いことだと思う。



人が気付くとき、必ず人が絡む。




自分ひとりで気付くことなんて何もない。




自分が出会い、話し、関わってきた出来事。。。




そして、その出会いによって自分が何に心を動かされてきたのか。。。



そんなことを思うと、おのずと自分の道が見えてくる。



でもそれは、本当は勘違いなのかもしれない。。。





勘違いでもいい。





それを心から楽しいと思えるなら。。。




おれはそう思う。。。





気付くということはほんとに素晴らしい。。。

2012/02/05

恩返し~スキルという餞別~

今週半ばから、「お祭り」のような現場に着工する。。。



本来なら一ヶ月はかけたい現場。



ただ、工期にいろんな制約があり二週間で完結せんといけんのんじゃ。


さらに、そのうち9日間は車の出入りができない。。。


実質、初めの5日間がほんまに勝負なんじゃ。



実は、今年の4月末で一番弟子であり番頭の竜樹は独立、帰省する。


それもあって、この工事には東京の仲間と、滋賀の仲間 計4人に応援を要請した。



竜樹は俺のもとに来て3年ちょっと。


まだまだじゃけど、ほんまに頑張り屋でよう成長した。



今週から4月末まで、面白い工事が続く。



この三か月の現場は竜樹への餞別じゃと俺はおっもっとる。



あいつが初めて俺のもとにきてはいった現場は『森×hako』じゃった。


昼夜関係なく二か月間、庭に没頭した。


来てすぐに、大変な現場を経験した竜樹は、完成前々日に疲労と安堵感からか寒気を装い倒れた。


しかし、完成前日の朝には元気な顔で出てきた。


そうやって、あいつは体力と根性を培っていった。


難しい仕事も、朝までかかってでもやらせた。


俺が現場を上がった後も、必死で頑張っとった。



そうやって、徐々に手仕事を教えていき、スキルを磨いた。



そして、様々な問題を起こすことで俺にも勉強させてくれた。



俺はずっと竜樹に言ってきた。


「20代のお前に充分な金は与えない。ただ、生涯お金を生むことができる『スキル』をおまえにつけてやる。だからがんばれ。求めることはだんだんレベルアップしていく。高い要求をされる度に、「ここまでは来た。」と思ってがんばれ。。。」



もうどこに行っても重宝される人材に育った。


本当の『スキル』は心の中にある。



『スキル』を身につけるだけの心と根性さえあれば、もうそれで十分なんじゃ。





最後に近い現場で俺は竜樹に餞別として、一流のスーパー助っ人を呼んだ。



東京 塩の潤 、滋賀 永屋タクロー。。。



彼らと共に一つの庭をつくることができるのは二度とないかもしれん。



この餞別で、もう一歩成長してほしい。。。




この経験は、必ず今後に生きる。




今、うちは「スタッフ募集」をかけとる。


でもなかなか応募がない。



若者に一言言っておく。


人生に安定なんかない。


もしもあるとするなら、それは「スキル」に他ならない。


この世に無くなる職業なんてない。誰よりも素晴らしい「スキル」と「根性」を身につければそれは一番の安定となる。。。



20代で金もっちゃだめじゃ。



お金がなくても楽しく遊べる「スキル」を磨くのも、20代の特権じゃけえな。


そんな20代で、楽して金もらったらほんとの楽しさはわからんのんじゃけえ。。。



とにかく苦しいことに飛び込んだほうがいい。。。



目先の金じゃなく、生涯の豊かさを真剣に考えてほしい。


話がそれたので、このことは後日、もう一度アップする。。。




とにかく、これからの現場で竜樹に餞別と共に恩返ししようと思う。




カタチは違うが、「スキル」と「楽しさ」というモノで。。。

2012/01/06

政治家。。。

1/5より、業務開始です。。。



去年の終わりに、『しっかりと見つめる。。。』というタイトルで日記をアップした。



そこにこんなコメントが寄せられた。

>政治家になるんですか?





・・・

思わずため息がでた。。。



ちょっと何かを変えようと思うとすぐにこういう意見が出てくる。


そもそも、この考えがいけんとおれはおもっとる。



今の世の中が政治家によってつくられたと思う???


そりゃ違うで。



政治家は整理しとるだけじゃろ。



何事においても、間違いなく一人の人間からはじまっとるんじゃろ。。。


何事を始めるのも一人の人。。。




それが自分自身であることをわすれちゃいけん。



文句言うより、やるほうがいい。




仮に周りがピクリとも変わらんかったとしても、しっかり自分に何かが残るけえな。。。




できることをやってないこと、たくさんあるしな。




力は無限よな。。。

2011/12/22

しっかりと見つめる。。。

最近よく思うことがある。



自分の立ち位置がどこにあるのか、そしてそれは正しい・・・いや、納得できるところなのか。。。



いろんな方にお会いし、もちろん仕事もし、今年もいい仕事に恵まれた。


しかし、それに満足できていないのも事実。


庭をつくるだけが仕事、いや、生き方じゃないから。。。



自分がここに立ち、様々な経験に恵まれ、視野を広げることができている今だからこそわかることがある。




先日からキムジョンイルの死去に伴い、北朝鮮のニュースが頻繁にでてくる。




余計に思うんじゃ。




日本は、いや、世界は北朝鮮を危険な国だと認識している。




日本のメディアもまた、そう報道する。



なぜなのか・・・




それは、世界の流れからはずれとるけーじゃろ。



中国の偽物問題。


これもそうじゃろ。


その国にしか許されていない文化、いや、ほんとは許してないのかもしれないが、現状としては統率できとらんわけで、全体としては許されとる。




みんな、おかしな国じゃとおもっとるじゃろ。。。





でも、よー考えてみ。




みんながふつうに生活し、その中でふつうにしとることが、世界基準からずれとることはたくさんあるんよな。。。




問題はたくさんあるで。



生活も見直そう。



ほんとの幸せって何なんじゃろう。。。



その幸せ観は、おれには見えるけど。。。


おれのまわりの仲間にも見えとる。



しっかり自分の事みつめんといけんなぁ。。。



そのうち、日本はおかしな国・・・



そう、世界から見られるで・・・




そうならんように、おれは前を向いて歩きたいと思う。




来年からそれをカタチにする。



それが正しいことなのか、どうなのか、そんなことはわからん。



でも、悪いことじゃないことはわかる。



一歩を踏み出すことが、重要なんじゃ。




「bakudan」できつつあるし、やる。決めた。




どっちにしても、正念場に突入した。




これくらいじゃないと燃えんし。




やってやる。。。




長ーい眼で、少しでも多くの幸せに気付くことのできる世の中になればいいな。。。

2011/12/07

視点。。。

今日は、五年前に作ったテナントの庭の手入れをしとった。


そこで、考えさせられる悲しい出来事があった。



そこのテナントは今空いていて、テナントの募集をしている。



そこにテナントの見学者(某会社社長)がきて、コンサルの方と打ち合わせをしていた。




その時、庭の樹を地面から10㎝に伐ってくれと・・・


5年間愛情込めて育ててきた樹木たちを伐れと・・・



その庭は、テナントオーナーがかなりの想いをもっていて、その想いに基づいて作庭した。



作庭前の打ち合わせで、オーナーと言い合いになり、おれは「もうつくらない。どっかの作業員に頼んだらいい。」と言い放った庭だった。

その後、そんなおれに「まいったわ。すべて任せる。一切口出さないからからつくってくれ。」そう言って任せてくれた。

その時、なぜおれが「つくらない」と言ったのか。。。


それは、オーナーの想いとオーナーが考えるデザインがかけ離れていたから。

おれは、自分のデザインを通したかったわけじゃない。


想いをしっかりとしたカタチにしたかったから。。。


おれはいつもクライアントに言う。

「あなたの言う通りにはしません。」と。

ただそれは、勝手に自分が作りたいものを作るわけではない。


しっかりと話を聞いた上で、その想いが最高のカタチになるデザインを発想していく。

素人には、全体のバランスがわかりにくい。

だから、こうしてほしいと言われてそのままのことをしても、「アレッ???」みたいなことが多い。



そこをしっかりと説明し、そうじゃないことを納得してもらう。



だから、「こうしてください。」と言われたら必ず「なぜですか?」と聞く。




その答えが一致すればもちろんそのままそうする。




今日、「10㎝に伐ってくれ。」と言われたので、「なぜですか?」と聞いた。



その人は

「いや、虫も寄ってくるし、管理も大変だし、店の中も見えにくいし、看板も見えないし・・・」


ってほざいとったわ。


おれは、あまりに次元の低い話だと思い、

「10㎝って葉っぱ残りませんね。ない方がましだと思います。」


そう答えた。


そしたら

「そうですよね。全部とったらいいのに。そしたら花でも植えるわ。」

と・・・・・


雰囲気が違う、とかカラーが違う、とか、こんなものつくりたいとか、何か想いがあるならそのようにすればいいと思うけど、想いじゃない。ただ楽にしたいから・・・


呆れて何も言えんかったわ。


何の工夫もせず、取れば楽だから・・・


おれは思った。


この会社、のびんじゃろうなって。



おれは、自分がつくった庭を壊せと言われたことに腹立ったわけじゃない。



必要なくなったら庭もなくなるもんじゃけえな。



おれが気に食わんかったのは、その考えと態度。



まず、そんなに広い庭でもないのに、管理が大変だの虫がくるだの、そんな手間をかける余裕もない、周りを綺麗にもできない人に、人が育てられるんだろうかと思った。


それと、大事に管理しているおれらを目の前に、伐れと言い放つ気遣いも寂しいきもちになった。


おれは、独立してからはじめの三年間、ほぼ仕事がなかった。

その三年間に面倒みてくれた人がいた。

その人が、全国各地のいろんな会社に連れて行ってくれて、いろんなことを勉強させてくれた。


そこで、第一線で活躍している会社で共通していることは、整理整頓、掃除が行き届いていたことだった。


そんな会社って、社員さんもいい顔してた。



おれは思った。



掃除したり、整理整頓したりって、仕事内容を考えたら無駄な作業。

でも、その無駄な作業が人を育てるんだと。


工夫したり、考えたり、気分転換したり。。。そんな中で、人は何かを得ていくんじゃろうなって。。。




だから「手間が惜しいから伐れ。」という発想が、ほんとに悲しかった。



こんなやつが経営者なのかと・・・




とても悲しくなった。。。



作って壊してを繰り返してきた今、考えんといけんことがあると思う。



壊すという選択肢は一番最後じゃとおれは思う。



それまでに、いろんなことを工夫し、ひねりださんといけんと思う。




その工夫が、新たな道を生む。





見えている「視点」をみればいいんじゃんない。



見えてない「視点」を工夫によって探すことのできる会社がどんどん増えたらいいな。。。




そしたらもっともっと楽しいじゃろうな。。。




少なくとも自分はそうありたい。。。

2007/03/14

そういうひとにわたしはなりたい(後編)


私には、不思議なくらいたくさんの良い出会いがあります。

自分に何か足りない時、必ずと言って良いほどそれを教えてくれる人物がフッと現れます。。。



ここ最近、とても親身になってくれるアニキ的存在の方にお世話になっていました。

そのアニキは、なんでこんなに良くしてくれるんじゃろう・・・って思うくらい俺のことをかわいがってくれます。いろんな事を教えてくれる。

アニキにとって俺は何の役にもたてないのに、それどころか迷惑ばっかりかけとるのにアニキはそんなことは構わず、ニコニコしていろんなことをしてくれます。


アニキは、若い頃札付きのワル。。。
停学18回で表彰されたという。。。
鑑別も少年院もいった経験をもつ。。。

校長さんに、「お願いだから辞めてもらえんか。」って頭下げられたくらい悪かったらしい。


目をあわしたら
「おどりゃー、なにガンたれとんなら!!!しばきまわすど~!!!」

目をそらせば
「おどりゃー、なに無視しょうるんなら!!!しばきまわすど~!!!」

と、こんな風だったと周りの人から聞いた。。。


18歳を境にコロッと人間が変わり、仕事に打ち込んだそうだ。

もちろん、いろんな経験をしてきたそうだ。

仕事の話、恋愛の話、人生の話、失敗談。。。すべてをさらけだして笑いながら話してくれる。

アニキもまた、感謝の言葉ばかり口にする。

いろんな人をかばい、とばっちりを受け、それでも文句一つ言わず、ニコニコしている。
曲がった事は大嫌いで、一本筋の通った人。

そのアニキはいつも言う。

「自分が嫌な事されても、そのまま同じように返しちゃいけん。じっと我慢して誤ってくるんをまっとくんよ。誤ってきたら水に流して許してやればええ。わかってくれりゃえ~んじゃけ~。」

と。。。


こんなことも・・・

「「遊ぶ時はあそびゃーえーんよ。その代わり、遊ぶんじゃったらその日食う分くらいは稼いでからあそべ~。自分が動いた分がお金。おいしい思いして稼いじゃいけん。汗水たらして働いた分だけが自分のゼニじゃ。」いうて親父によ~言われたわ~。」
と言いながら、アニキもそうである。。。


それから、気遣いがサイコーにできる人なのだ。








アニキとは二年ほどの付き合いになる。。。

これまた俺が飛び込んでいったんじゃけど、そんな俺を
「お~、わきゃ~のにがんばっとるの~。え~え~。力になるけーがんばりにゃ~!」
って、おもしろがってかわいがってくれた。


そんなある日、俺は失敗をおかしてしまい、そのことでアニキのところに相談しに行った。

「実は~~~~~・・・なんです・・・」

と言った俺に、

「そりゃ~いけんかったな~。まあ、今の時代じゃけ~そういうこともあるわ。そういう人もおるけ~な。ま~、もうえ~が~^^」


といって笑い飛ばし、その上、困っていた事を引き受けてくれた。。。

アニキにとってはマイナスなことなのに。。。


それからもずっと可愛がってくれている。


先月、またアニキに迷惑をかけてしまった。

が・・・

そのときも、少し注意する感じでしかってくれ、その後に・・・
「え~え~、気にすな~。わしがえ~よ~にしとるけ~大丈夫よ~^^」

って笑いとばしてくれた。。。


そのアニキがよく話してくれる。

「みんなが喜んでくれるのがわしゃーうれしいんよ~~~^^」



俺は、何度もアニキやYさん助けられ、勉強させてもらった。


「あ~、すごい人じゃ。俺もあんなひとになりたいな~・・・」


そんな日々が続いたある日、わかばが寄ってきて・・・


「ぱぱ~、きいてきいて~!!!」

「あめにもまけず かぜにもまけず
 ゆきにも なつのあつさにもまけぬ
 じょうぶなからだをもち
 よく(欲)はなく
 けっしておこらず
 いつもにこにこわらっている
 いちにちに げんまいよんごうと
 みそと すこしのやさいをたべ
 あらゆう(る)ことを
 じぶんをかんじょうにいれずに
 よくみききし わかり
 そしてわすれず
 のはらのまつの はやしのかげの
 ちいさなかやぶきのこやにいて
 ひがしにびょうきのこどもあれば
 いってかんびょうしてやり
 にしにつかれたははあれば
 いってそのいねのたばをおい
 みなみにしにそうなひとあれば
 いって こわがらなくてもいいといい
 きたにけんかやしょしょう(訴訟)あれば
 つまらないからやめろといい
 ひでりのときは なみだをながし
 さむさのなつは おろおろあるき
 みんなにばくしょうおう(でくのぼう)とよばれ
 ほめられもされず
 くにもされず
 そういうものに
 わたしはなりたい」




「おぼえたんよ~!!!」





「・・・」





まさにアニキはそういうものなのだ。。。




正直、その時の状況がリアルすぎて、心に響いた。。。




と同時に、一生懸命なわかばの姿に感動した。。。





そういうものにわたしはなりたい